穏やかに暮らしたい

60 ちょっとの日々の暮らし

日にち薬

母を亡くして早1ヶ月過ぎ、気持ちも少し外へ向くようになりました。

先日、気分転換に久々一人で、映画「糸」を観て来ました。(もうお終いに近いみたいでした💦)


私達夫婦の大好きな北海道‼️

何度行っても素敵な風景と食べ物


美瑛の美しい景色を背景に、菅田将暉と小松菜奈のとても切ない初恋❣️大人や周りのどうしようもない環境に抗って、やっと自分達の幸せを見つけた二人。


主題歌の中島みゆきの「糸」は、私が大好きで、数年前

娘が結婚式💒で流してくれた🎶


赤い糸は、全ての人に正しく結ばれてはいないと思う。

今回、母の60数年の結婚生活を考えるに、

父との心通じない歳月が、とても哀しかった。

「お母さん、私達夫婦は貴方達よりは相手を思う気持ちがあるのでこれからも仲良く暮らしていくから安心してね!」


近所のスーパーへ買い物行った帰り、公園の近くを通ったら、すっかり紅葉🍁でとても綺麗🍂

季節の移り変わりに、最近ようやく気付いた私。


首都圏はコロナ感染者が日々増加傾向。

なかなか人混みに行けないけれど、せめて近所の紅葉で慰められています。

母を見送って

母が退院して程なく、もう余り時間が無いと医者から言われ、本人と父の希望で自宅で看取りました。 


妹二人のうち一人は毎日来て手伝う時間をとってくれましたが、もう一人の妹はフルタイムで仕事量も多く介護のフルに集中出来るのは父と私。 

最後の2週間程は寝たきりになり、オムツ交換も腰が悪い私はコルセットを使ったりしていました。                            母は少しでも早く楽になりたい!何もしてくれなくていい!とずっと言っていました。父と私達子供は、治る見込みが無く少しばかり命を延ばすことは母にとって辛いこと。ならば延命治療はせずに逝かせてあげようと皆んなで決めたことでした。


しかし、近くでだんだんと痩せて骨と皮ばかりになっていく、食べ物も喉を通らず水も飲めなくなる、見ていられない程の過酷な状態は、とても切なく辛いものでした。吐血をした時は、父と私二人だけだったので、動揺して苦しそうにしている母の様子が今でも思い出されて辛いです。                        


介護生活よりも、90過ぎの自分の思い込みの強い、新しいことや人の意見を受け入れられない父との対応だけで疲れが倍増しました。特にテレビも付けず、お風呂は1日置きというのは、只々疲れを取る術も無く修行僧の様な生活でした。  

(年寄りはは乾燥するから、毎日お風呂は要らないと言われ私一人の為お風呂用意するのも気が引けてだんだん諦めました。シャワーでは風邪ひきます )              

 

今は四十九日を控え、自宅に戻っているのですが、通夜告別式、その後、いろいろな事があり、心身共に疲れが取れておらず、未だ、思いきって泣けない私はとても冷たいのかもしれません。         


時が早く流れていきますように*・゜゚・*:.。..:*・:.。. .。.:*・゜゚・*

母の看取り

少し前、ブログ投稿して一度削除しました。

愚痴が多くて自己嫌悪。コメント頂いた方には大変申し訳ありませんでしたm(_ _)m


さて、私今母の介護の為実家に滞在して早1ヶ月。

昨年秋より、病が難しくなってきて、病院のはしご状態。他県に住んでいる私は月に数回帰省しておりました。


母は血液の癌、腎臓、心臓、など幾つか重なり3ヶ月入院して、退院したタイミングで実家での介護が始まりました。癌は1年前からゆっくり進行して先月 余命1ヶ月と言われました。しかしもう沢山は食べれないものの、お粥やスープ、アイスなど少しでも口にすることができています。


母は長女の私を近くに置いて、老後を面倒看て貰うのが昔からの望みでした。若い頃から私をコントロールしようとあれこれ干渉してくる母に嫌気がさし、夫の転勤を機に長いこと離れて暮らしてきました。


母がこんな病気になる前は母に対して実母であるが故、許せない気持ちで、憎んだり、恨んだり、ネガティブな感情ばかりでモヤモヤしていましたが、やっと母が今の状態になって、そんな気持ちから解放され、母の為に少しでも快適に過ごせるよう努めています。後は頑固な父とケンカしながら母の残り少ない日々を看取っていこうと思っています。



長年母が大事にしている糠床。実家に来てから糠床を整え、又美味しい漬物を食べることが出来ました。


そのうち、余裕が無くなり又愚痴も出てくるでしょうが、どうかお付き合い頂ければ幸いです。

宜しくお願いします🤲